2017年03月09日

尾崎放哉の生き方や俳句に触れてみませんか

5・7・5の形式にとらわれない自由律の俳人として知られる尾崎放哉。
最期の8ヶ月をここ小豆島の南郷庵(みなんごあん)(小豆島八十八ヶ所霊場 58番札所西光寺 奥の院)の庵主として過ごし、42年の生涯を閉じます。
IMG_0084.JPG

小豆島八十八ヶ所霊場 58番札所西光寺の近くの、放哉が眠る墓地の隣りに、当時の南郷庵(みなんごあん)を復元した小豆島尾崎放哉記念館があります。
記念館では、放哉や、放哉をとりまく人たちが交わした書簡や、放哉直筆の短冊、写真などの貴重な資料が展示公開されています。
(小豆島尾崎放哉記念館ホームページはこちら→ http://www2.netwave.or.jp/~hosai/ )
5.jpg

没後90年以上がたった今もなお、根強い人気がある放哉ですが、お笑い芸人のピース又吉さんをはじめ、男性ファンが多いと言われています。
そこで、この度土庄町教育委員会が主催して、「女性目線で放哉の生き方や俳句について少し触れてみませんか」という趣旨で、『 放哉×女子 』というはじめての会が行われました。

参加者は、放哉研究の第一人者である小山貴子先生、主催の教育委員会、記念館職員の方も含め9名。もちろん全員女性です。
会場に着くと、普段は17時には閉館する記念館に灯りがともり、普段とはまた違った感じでわくわくします。
一つの机を囲んで、女性ばかり、お茶とお菓子も楽しみながら、和やかな雰囲気でした。
FullSizeRender2.jpg

先ず、記念館の方から、放哉の生涯について、簡単に解説していただきました。
放哉は、明治18年鳥取県鳥取市で生まれ、一高、東京大学法学部とエリートコースをたどり、卒業後は生命保険会社の要職に就きます。
しかし人間関係のストレスなどから酒に溺れ、退職に追い込まれ、家族も捨てて漂泊の旅を続けます。
大正12年、京都の一燈園で托鉢生活に入り、京都、須磨、小浜の寺男を転々とし、大正14年8月、荻原(おぎわら)井泉水(せいせんすい)主催の自由律の俳句雑誌「層雲」のつながりを辿って、小豆島にやってきます。ここで病苦に苛まれながらも3,000句に近い俳句を作り続けました。

放哉についての解説の後は、参加者ひとりひとりが、どのような思いでこの会に参加したのか、また放哉についてのイメージなどを語っていきました。
酒癖が悪く、仕事や家族も捨てたというあまりよくないイメージを持つという声多く、それでも死ぬ間際まで周りの人は見捨てず、今も小豆島では「放哉」南郷庵友の会の会員様をはじめ、多くの方によって守り伝えられていることについて、小山先生は「友人の友人まではみんな友人!という感覚の山頭火と違い、放哉は一対一の付き合いが深く、師匠の荻原(おぎわら)井泉水(せいせんすい)をはじめ、放哉を知る人は『自分が放哉を助けなければ』と思っていたのではないか」と述べられました。
参加者の間でも、放哉の男性としての魅力、また、人としての魅力について、「ダメ男だが、放っておけない魅力があったのでは」などと意見を述べ合いました。

放哉の句については、暗いイメージがあるという声が多い中、はじめて知ったときに「自由で楽しい!と思った」という声もありました。
小山先生から、放哉が詠んだ「自由律俳句」についての解説もあり、先ずは一度詠んでみましょうと次回の宿題になりました。

(次回は3月22日(水)18時半からで、定員は10人程度。 申し込みは小豆島尾崎放哉記念館へ。)
DSC03228.jpg

この他、尾崎放哉について知る機会は、毎年4月7日の放哉の命日に、西光寺において行われる放哉忌(法要、記念行事)など、度々行われています。
2.jpg
(西光寺)

放哉を好きな人も、イメージが悪いな、と思っていらっしゃる方も、先ずは放哉について知り、俳句にも触れてみませんか。

小豆島観光協会 岸本
posted by 小豆島観光協会 at 17:37| 香川 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする